日本人が意外と知らないヒトラーの演説のテクニックはうまい

概要

日本人からすればヒトラーという名を聞くと危険なイメージが湧きますよね。

第二次世界大戦の引き金を作ったイメージやナチ党を率いて独裁を行ったり、ユダヤ人を迫害したりして自分の演説で大衆を地獄へ導いたと考えている人が多くいると思います。

しかし、実はヒトラーは凄い指導者だったという一面もあるのです。

今回はそんなヒトラーのあまり知られていない凄いリーダーシップについて紹介していこうと思います。

ヒトラーの魅力は演説力?その圧倒的な実力とは!

ヒトラーの演説力が高かったことは有名ですよね。彼には演説の才能が誰よりも確かにありました。

しかし彼にはむしろ演説の才能以外なかったのです。

彼は16歳と時に日本でいう中学校のような実業学校というところを退学しています。この退学理由が素行不良などではなく、純粋な学力不足です。

彼は圧倒的に通常に人よりも学問ができませんでした。これは想像を絶するほどにできなかったようです(大汗)

通常の場合には退学するほどの学力不足というのは、多くが勉強をそもそもしていない場合が多いのですが、彼は全力で誰よりも努力し試験で何度も不合格を叩き出しています。

当時の教師たちも意味がわからなかったことでしょう。彼はなぜこうも勉学の才がないのかと。

その後、彼は芸術の道に進みますが、芸術の才もありませんでした。彼の絵は現代、時に賞賛されますが、その絵は才能などの感性を刺激し描いたものではなく知識で描いた作品と言われます。そのため芸術学校も能力不足で退学します(汗)

知性も感性も否定されたヒトラーはその後、人生に迷い続ける期間がありホームレスにまで堕落します。彼をここまで落ちぶれさせたのは神が彼に才を与えなかったからです。

しかし、そんな彼を救ったのもまた神から授けられた才でした。その才というのは「演説の才」です。これは分かりやすく言うと「説得力」ということになります。彼は持って生まれた圧倒的な説得力があったのです。

これをナチ党という政党に評価され、その後は皆さんの知るとおりの人生です。

この「演説の能力」というのは、よくすべてが才能によるものと言われがちですが、そうでもありません。もともとヒトラーは努力家です。ただ、すべての物事が全力で努力してもうまく行かなかっただけで努力自体はできる人間です。

そのため、ヒトラーは自分に演説の才があると気づくと演説の能力を磨く努力に全力を注ぎます。彼の演説には仕草や声のトーンなど多くの技巧が組み込まれています。

また話の構成も計算され尽くしたものでした。思いつきで思いっきり話している演説のように見えますが、実はすべて現行の元で計算され尽くした演説だったのです。

彼の話の構成は基本的には4部構成です

(1)まずはじめにピンチな状態を認識させ、次にそれを解決する具体的な目標を民衆に提示します。
(2)これにより自分がアイデアを持っていることを示し、普通の人間ではないことを明らかにします。
(3)そして明確な敵が何なのかについて説明します。
(4)この時には具体的な名詞で表現します。ふわふわとしたこんなもの。という言い方は絶対にしません。

よく現代人は「今、世の中がダメなのは景気のせい」というふわふわした原因を堂々と言いますが、あれは全く意味がありません。その景気の原因が何なのかを言うべきです。ヒトラーはこの時に具体的に国や人物名を出しました。

そして最後に自分がこれからその原因に対し何を行うのかを一言で言います。ちなみにこの4部構成のストーリーを話す際は声のトーン、つまり大きさや高さを徐々に上げていくという高等テクニックもヒトラーは使っていました。

彼の演説がこれだけ計算されていて、才能だけでなく努力によっても生み出されていたのは意外だったのではないですか?

ヒトラーの本当にすごいのは天才的な組織運営術!現在の経営にも活かせるその方法とは?

ヒトラーが素晴らしいのは演説だということは多くの人が知っています。

しかし、ヒトラーの凄さの本質はそこではありません。演説とは手段でしかなく目的ではありません。

では、目的は何なのかというと目的はドイツという国、つまり組織の運営です。国を自分の思う方向に動かすために演説という手段を使っただけで他に手があるのなら別にそれでもよかったのです。

しかし、ヒトラーには演説の才能しかありませんでした。それ以外のことは普通にすることすらできない人間でしたので自分に与えられたカードをうまく使っただけです。

ヒトラーは自分が人間を支配することで国を動かし大きな権力を手にできると考えていました。ナチ党のリーダーになった頃には少し人間として壊れかけていた彼ですが、リーダーとしての合理的な手法は大きな結果をもたらしています。

日本人はよく偉人や組織のトップに聖人君子を求めますが、自分はどうなのでしょう?

「凄い人はもっと世のため人のために頑張ってほしい、自分の思うような行動を取ってほしい!たくさん褒めてあげるから!まぁ私は頑張らないけど」と考えるのはあまりに身勝手ではないでしょうか?

素晴らしい人間だからリーダーになれるのではないのです。とにかく所属組織に利益をもたらすことができる人間がリーダーになるのです。そしてそれが相応しいリーダーなのです。

そうでなければ人間性だけよくて無能なリーダーが次々に生まれてしまいます。リーダーというんは常に合理的で先見的判断を求められます。ヒトラーもそうでした。

しかし、時にそれは自分を苦しめます。リーダーとして組織の舵を取っているつもりでもいつの間にか組織に舵を取らされているというのは組織のリーダーの立場になったことがある人にはよくわかることでしょう。

そのため、ヒトラーの行った残虐なこともすべてが彼の意図するものであったとするのは少し無理があります。

彼のやった残虐な行動としてユダヤ人の大量虐殺がありますが、彼の母親はユダヤ人です。つまり彼自身にもユダヤの血が流れており、ヒトラーはユダヤ人です。

ナチ党がユダヤ人の大量虐殺を決めた際にヒトラーはどう思ったのでしょうか?その時に彼は何を思ったのでしょうか?

彼が独裁的な政治で世界を混乱に貶めたのは確かです。しかしヒトラーはなぜこのようなことをしたのでしょうか?

これは幼い頃から世の中が自分を認めてくれないことへの反抗心があったのではないでしょうか?

ヒトラーは幼い頃父親のアロイスから死ぬ寸前までの虐待を毎日受けていました。そして家庭は貧しく、私生児として生まれました。地獄のどん底からのスタートという感じですよね。

これだけの地獄を幼い頃から見れば世の中を見返したい。他人を自分の下に置きたいという気持ちが芽生えても仕方ないのかもしれません。

他人が「それでも独裁はダメだ!ヒトラーはダメだ!家庭環境は関係ないぞ!」というのは簡単ですが、実際に彼の幼少期から青年期までの人生を味わった後に同じことが言えるでしょうか?多くの人が間違いなく自殺することでしょう。

それでも必死に生きた若い頃の彼に対しては賞賛を与えてもいいのではないでしょうか?

まとめ

ヒトラーのやったことは確かに間違いです。しかし、当時の情勢やヒトラーの人生を入らずにただ、歴史の教科書で見ただけでヒトラーという人間を否定することはナンセンスです。

しっかりとした周辺事情をわかった上で彼の行動を見てみると賞賛できる部分も理解できる部分も見えてくると思います。確かに彼のやったことの中には大きく人として間違ったことがあります。

ユダヤ人の迫害などはその最たる例です。それは確かに事実であり、ドイツという国そして人類の負の歴史ですが、それを一方的に批判するよりも原因を追求し理解した方が建設的ではないでしょうか?

もし、この記事で歴史に興味を持ち、偉人についてもう一度知りたいと思った人は「織田信長は傍若無人?彼の本当の素顔とは?」という記事がありますのでそちらも見てみてください。

歴史がどれだけ一つの面しか映していないのかがわかると思います。彼らたちから現代のリーダーたちが学ぶべきことは多くあるのではないでしょうか?

6年目看護師に転職を決意させた4つの不満

辞めたいと思うときこそ、世界を広げるチャンス

私は転職を経て、現在とある病院で医療コンシェルジュをしている看護師です。

今はやりがいを感じつつ、プライベートとも健全なバランスを保てていますが、2年前までは四六時中業務に追われ、一時は食事途中で倒れこむほど疲れ果ててしまったこともありました。

看護師を辞めたいと思うほどの気持ちになっているのに、いろんな事情で躊躇しているあなたに、他に選択肢もあると言いたくてこれを書きました。

新人時代の洗脳が解ける日までの軌跡

転職は悪と刷り込まれた新人時代

当時勤めていた病院で、辞めたいと漠然と思い始めたのが看護師になって3年目の頃。しかし、どんな不満があっても、一つの場所で頑張ることこそ美徳と思っていました。

それは、教育係だった係長に着任早々「あなたたち新人は、他のスタッフや患者さんに迷惑をかけながら育ててもらっている。ここまでしてもらったら5年はやめられないよ」と言われたことが影響しています。

その教育係は、転職でやってきた中途採用のスタッフに当たりが強く、転職したらろくな目に合わないと知らないうちに刷り込まれていました。

でも、実際に転職してみて、そのイメージは払拭されました。転職は悪どころか、むしろ世界を広げてくれ、待遇面も職場環境もかなり良くなったからです。

その不満はあなたの貴重な時間を食いつぶしていないか?

もといた病院にとっては、育てた新人が他の病院に流れるのは痛手かもしれません。でも、人材が流れるだけの理由があり、経営者の都合で人を縛り付けておくことはできません。

もしあなたが看護師を辞めたいと思っているなら、それはあなたの能力や適性の問題ではなく、勤務先の問題かもしれません。そこであなたが頑張ってしまうが故に、経営陣は「このままでなんとかやれる」と判断している可能性もあります。

あなたの代わりはいくらでもいますが、あなた自身の時間は有限です。不満を感じているのなら、見切りをつけて次の場所に行った方が、病院とあなた両者にとってよかったということもあります。

一つの場所でキャリアを積むのも悪くないけれど

一つの場所でキャリアを積むメリットがないわけではありません。一つの場所である程度のキャリアがあることを採用条件にしている施設もあります。

ただ、本当に看護師としてやりたいことがあり、それが自分のステップアップだと考えられる、あるいはあまりにも疲弊してしまった時の転職は、必ずしもマイナスにはなりません。

ちなみに私自身は、6年勤めてから転職しました。漠然と不満を感じていた時に、転職エージェントをしていた知人から言われた「あなたなら、○○クリニックが合うと思うな」という一言がきっかけでした。

それで情報を集めたところ、旧職場に感じていた不満が解消しそうだということがわかりました。

エントリーの条件は「一つの病院で4年勤務していたこと」だったので、その面では旧職場で頑張ってよかったです。

それでも、正直4年で済んだのなら、2年も引っ張らなくてよかったなぁと思います。

私の場合、旧職場へ4つの点で不満がありましたが、転職で全て解消しました。今は日勤だけの勤務にも関わらず収入アップしましたし、残業もかなり少ないです。

現職場に不満があったり、辞めたいと思われている人に参考になればと思います。

不満ではなく真っ当なニーズ?私はこんな不満で転職した

健康面:過労死も他人事じゃなかった激務

3年目くらいから不規則勤務、長時間勤務による体調不良が気になるようになりました。休むほどではありませんでしたが、疲労の蓄積か、5年目のある日勤中動悸で急に苦しくなり、処置室で倒れました。

「このままこんな勤務を続けていたら命が削られる」と危機を感じました。当時、看護師の過労死もニュースになったりして、他人事ではありませんでした。

夜勤が得意な人もいると思いますが、私には負担が大きすぎました。現在、日勤だけで残業はほぼなし、体調不良で倒れたことは一度もありません。

人間関係:私は先輩の嫁じゃない!

入職2年目くらいから、先輩からのちょっとした誘いが増え、ストレスを感じるように。

日勤後に居酒屋に誘われたり、夜勤明けに延々長電話。休日も呼び出され何故か家族旅行にもついてくるように言われて断れず…。わけもわからずお墓参りを手伝いました。

先輩は喫煙者だったので、喫煙室にも連れていかれて長話。タバコの臭いが苦手だと言っても、「あとちょっとだけ」と更に1時間話が続いたり。

先輩の気持ちを受け止めるためだけに、何時間も拘束されていたなと思います。はっきり言って、私にとっては何のメリットもない時間でした。

おかげでますますリフレッシュする時間が削られ、体力・気力を消耗する結果に。

しかも、この先輩だけじゃなかったんですよね。可愛がるという名目で、ストレス解消のために後輩を拘束する人…。

このまま私もここにいたら、こんな先輩になるのかと内心がっかりしたものでした。

現職場の先輩は、適度な距離を持って付き合ってくれます。こんな上司になりたいな、と思う人とも出会えましたし、距離感がとても心地よいです。

給与:転職するだけで手取りが○万増えるなんて…

前職場の基本給は6年目で22万円でした。二交代夜勤を月6回やっても手取りは26万ほど。

夜勤は2時間仮眠をとって良いことになっていましたが、休憩をとれても1時間。患者さんの急変も多い病棟だったため、仮眠を取れないこともしばしば。

しかも残業は1時間が当たり前。3時間のこともザラでした。それなのに、給与明細を見ると、申請した残業代はほとんどカットされていました。

患者さんの命を預かる現場で、休憩を取れないのは致し方がない部分もあるとはいえ、正当な報酬とはとても思えません。

遊んでいたわけじゃないのに、残業代がもらえないことに不満が募っていました。

残業が多いと師長(看護師長)の評価に影響があるため、残業代を申請しても師長の判断で消されていたようです。

その点、現職場は、できるだけ残業しなくて良いようにチーム全体が協力しあっていて、15分単位で確実に残業代がもらえます。現在月収は手取り36万円と、日勤だけなのに10万円も増えました。

何より、QOL(生活の質)が断然よくなりました。昇給も万単位ですし、仕事のモチベーションを保てています。

あってないような休日:苦行でしかない業務以外の出勤

ただでさえ残業が多い職場なのに、委員会、ミーティング、勉強会と業務以外で出勤することが多いのは辛かったですね。

特に、夜勤明けに「やっと眠れた」と思ったら途中で起き、意識が朦朧としたまま再びミーティングのために職場に出向かなければならないとき。足が本当に重かったです。

また、情報収集のため、始業時間より1時間早く出勤するのは通例でした。当時は当たり前のことだと思っていましたが、転職後の今は情報収集も業務時間に組み込まれていたので、純粋に業務時間内で完結します。職場の風土によってえらく違うんだなと痛感しました。

【まとめ】不満はより良い職場への種にしよう

ある程度頑張れそうなら最低限4年くらいは続けてみても良いかもしれません。転職時、プラスの評価になる場合があるからです。

でも、看護師は売り手市場なので、体や心を病むほどなら、積極的に転職活動をした方が良いと思います。職場への不満を抱え、文句や愚痴を後輩を垂れ流す先輩になりたくないですしね。

看護の業務スタイルは幅広く、若い時ほどつぶしも効きます。今の職場に不満があるなら、早くから転職も視野に入れて情報収集してはいかがでしょうか。

転職するにしろ、今の職場でキャリアを積むにしろ、世界が広がると思います。

院内の乱れた人間関係に疲れて

何の問題もなかった。あの泥沼以外は

新人のころから3年お世話になった病院。待遇も業務も悪くありませんでした。

患者さんは優しいし、優しくて綺麗な先輩に恵まれ、配属された当初は本当に嬉しかったんです。

そんな職場から抜け出したいと心底思った理由。

ズバリ、恋愛の泥沼です

あまり大きな声では言えませんが、ボロ雑巾のようになった尊厳を取り戻すには、転職しか思いつきませんでした。

恋愛に節度のない病院でモチベーションが地に落ちた私が、不倫・多角関係に対策を講じていた病院を転職するまでの体験をお話しします。

院内の乱れた人間関係に疲れて

あまりに無知すぎた新人

私は看護学校卒業後、500床ほどの総合病院に就職しました。

配属先は呼吸器内科病棟。
新人ナースとして毎日懸命に働いていました。

就職して2ヶ月くらい経った頃、他の病院から移ってきた男性医師がいました。

その若い医師は、患者さんに優しく、ベテランドクターに負けない手際の良さに加え、ナースへの思いやりも抜群でした。

緊急で処方した薬を手配するのに、他のドクターは入力だけしてあとはナースを走らせるのに、そのドクターは薬剤部に電話してくれて、手の空いた人を探して手配してくれました。

このドクターを増田Dr(仮)とします

増田Drは人気がありましたが、私は恋愛どころではなく、業務をこなすことで精一杯の毎日でした。

そんなある日、歓迎会がありました。
新人ナースと新たに配属されたドクターの歓迎会です。

私と増田Drは、近い席に座ることになりました。

「君に興味がある」

参加者にお酒も回って賑わってきた中、増田Drに耳打ちされました。

恥ずかしながら私は男性を知らず、言われた意味がよく分かりませんでした。

「抜け出さない?外で待ってるよ。これ取りに来て」

増田Drは私のハンカチをさっとポケットに入れて、出て行ってしまいました。

律儀にハンカチを取りに行った夜以来、私は増田Drと付き合っているものと思っていました。2年の間は。

病棟、部署をまたいでの女のバトル

「あのね、私の好きな人のことなんだけど」

主任からファミレスに呼び出され、飲み物をオーダーした直後でした。

そう言われた時、すぐに増田Drのことだと分かりました。

「もしかして渡辺さん(私)、その人と関係があるのかなって。思い当たるよね?」

「彼氏はいます。でも、その人が主任の好きな人かどうか…」

「増田先生よ。私、仲良くさせてもらってて」

「え…」

「そっか、やっぱり。もやもやしてたからスッキリしたわ。ありがとう。これで何か甘いものでも食べて帰って」

主任は、2,000円私に渡して、帰っていきました。

確かに、主任と増田Drが仲良く話しているところは見たことがありました。でも、同僚以上の関係とは思ってもみませんでした。

でも、こうして呼び出してまで問いただすということは、主任と増田Drは深い関係にあるのではないかと、疑うようになりました。

絶対にすまいと思っていた携帯チェックをしました

すると、私に声をかける前から主任とは身体の関係があり、また別な病棟のナース、同じ病棟の既婚ナースと1つ上の先輩ナース、事務スタッフ、検査部の検査技師とも深い仲にあることが、芋づる式に分かりました。

私が夜勤の時には、必ず別な女性をローテート。

頭が真っ白になりました。
他に六人女性がいたなんて…

自分の勘の悪さを呪いました。

遊ばれてたんだ…。

食事も喉を通らなくなり、別れたいと願うと同時に執着心に苦しみ、ガリガリに痩せました。

仕事をしている時でも、目の前で先輩と楽しそうに話したり、事務スタッフと2人きりで休憩室に入ったりしているのをみると、胸がバクバクして、冷静さ取り戻すのに苦労しました。

とても抱えきれず、増田Drにもうこれ以上は苦しすぎて辛い、と打ち明けました。

増田Drは、君のことは好きだけど、僕は変わらない、それでもよければこれからも会ってほしい、と言いました。

「いいわけないよ!信じられな!」

私は泣いて泣いて、泣き腫らす毎日でした。

仕事の時が一番楽でした。目の前の患者さんのケアで頭も心もいっぱいにして、一生懸命になれたからです。

後で分かったことですが、何も知らなかったのは私だけでした。主任、同じ病棟の先輩たち、検査技師、事務は、互いの存在を探り合っていて、増田Drを奪い合うようにしていました。

しかも、増田Drは結婚していました。前の病院で不倫騒動を起こし、奥さんと離婚調停中だったのです。そのため、別な病院に来たということも知りました。

私以外の女性達は、お互いのことを散々噂していました。もちろん、私のことも。

私が増田Drに渡したプレゼント、どこに遊びにいったか、どんな手料理を作ったか…。ほかの女性のことを知って、どれだけ取り乱していたか。

仕事では普通に協力していた人たちのそんな姿を知り、怒りと悲しみしかありませんでした。

ナース達が傷つき、傷つけあっていた病院

「ごめん、私知ってたんだけと、渡辺ちゃんから相談してくれるまでは言わないでおこうって思ってて…。辛かったね」

同期のヒロが、夜勤明けのカフェで打ち明けてくれました。

「なんだかこの病院、ひどいよね。他の話もいっぱいあるよ。渡辺ちゃんはそういうの嫌いでしょ。だから言わなかったんだけど」

同期ナースが、内科部長と不倫していること、院内の仮眠室が、ラブホテル化していて掃除のおばさんが愚痴を言っていることなど教えてくれました。

私が配属されていた病棟だけでも、50歳前の係長は小児科医と不倫中、後輩は既婚の患者さんと不倫、40代の師長代行は放射線技師と不倫し妊娠、略奪婚をした人でした。

こうして改めて書いてみると作り話のようですが、本当の話です。

こんな話が他の部署にもゴロゴロ転がっていました。

人間としても、医療者としても幻滅しました。この病院にはそんなモラルのない人たちが集まっているのかと、モチベーションは下がる一方でした。

やめて再出発したい

この病院は看護に定評があり、名医が集まる病院としても有名でした。

有名な病院だからこそのストレスがあって、そのはけ口が恋愛になるのか分かりません。

きらびやかな表の顔とは裏腹に、内情は泥沼の愛憎劇が日夜繰り広げられていました。

噂にさらされて消耗しきった私には、この病院から出て一からやり直したい、という気持ちだけが残りました。

こんなことで、転職するのは悔しかったですが、世間知らずだった自分にも非があると気持ちを切り替えました。

転職を決意してからは早かったです。

すぐに、看護師求人サイトに登録し、コンサルタントさんに、人間関係や院内の風紀を重視したいことを正直に伝えました。

やっと手に入れた穏やかな日々

たまたまタイミングよく、同程度の規模の病院に転職することができました。

隣県に引っ越し、心機一転のスタートでした。

退職については、師長や主任からの引き止めは一応あったものの、私の噂は耳に入っていましたし、強くは言われませんでした。

新しい病院では、即戦力として呼吸器内科に配属されました。

転職理由は、コンサルタントさんと相談し、呼吸器内科の知識やスキルをさらに磨きたいから、という理由にしました。

新しい勤務先ではもう10年になります。
内部事情も分かった今、管理職からして不倫していた前の病院とは違うな~と思います。

もちろん、院内恋愛はあります。知らないだけで不倫をしている人もいるかもしれません。実際、以前は不倫問題を起こした人もいたそうです。

でも、前の病院と違うのは、こうした風紀の乱れを問題視した看護管理職が、新人へのOJTに、院内恋愛のリスク、モラルについても触れるようになったということ。スタッフ同士が節度ある距離を保っていることです。

OJT
日常業務を通じた従業員教育のこと。日本の企業が開発したもので、業務現場における日常的経験の積み重ねによって就業スキルを向上させていくというもの。いわゆる社会人大学院などで見られるような専門的知識やスキルを得るために業務外で行われるOffJTとは逆に、業務現場でしか得られない仕事の進め方や知識、技能を習得できる。業務現場以外の急変する環境に即した教育が可能なOffJTとともに、社員教育の相互補完的な役割を担っていると言えるだろう。

引用元:https://kotobank.jp/

こうした内部情報をつかんでいたコンサルタントさんのおかげで、待遇や条件を落とさず、重視しているポイントを満たす求人に出会えたと思っています。

今は、がん看護を専門に学びつつ、臨床に立っています。

恋の苦しみが転職で癒えることもある

院内恋愛は、別によいと思います。でも、世間知らずの若い看護師を食い物にする医師やコメディカルがいるのは事実。

あなたが前の私のように、恋愛に疲れて辞めたい、苦しい、辛いという状況にもしあるなら、そのことを転職コンサルタントさんに相談してみても良いのではないかと思います。

一番はそういう男を見抜く目を養うことですが、看護師が不毛な恋愛をしていることって結構あるよな…というのが私の経験です。

病院の風土にも左右されることなので、私は思い切って転職してよかったと思っています。

痛い人生経験でしたが、おかげで少しは図太くなれたかな。今は結婚もして子育てしながら働いています。

普通のSEから、社内SEに転職したら天国のような世界が待っていた!?

超がつくほど忙しく働いていた元SEです。このままでは身体を壊す事になりかねないと思い、転職を決意しました。

現在はメーカー系の社内SEとして働いています。転職前の現在について働き方をご紹介すると共に、転職活動時のリアルな姿についてもご紹介してゆきたいと思います。ここで書いた情報が誰かの役に立てば幸いです。

SEからメーカーの社内SEに転職した理由

はじめまして、元SE、現メーカーの社内SEとして働く都内在住の男(32)です。私の転職経験についてご紹介してゆきたいと思います。

地方の大学を卒業後、都内の某会社にSEとして就職しました。学生時代からプログラミングは経験していましたし、プログラミングをする事が好きでしたので、意気揚々と働き始めました。

けれど、理想と現実の違いに気付くのにそれほど長い時間はかからなかったです。学生時代に趣味として楽しんでいたプログラミングは自分が好きなものを、好きな技術を使って作るからこそ楽しかったのです。

仕事としてのプログラミングは、完全に決められた内容をただただプログラム化してゆくだけ。完全なる作業でした。それでも好きなプログラミングでしたから続けていましたが、それすら覆す出来事が起こりました。

スタッフが急に減り、それでも仕事量が変わらず、突如として超がつくほどハードな職場となったのです。中堅と言われる年次に達していたため、ただただプログラムを書けばよいというワケにはゆきません。

これまで先輩が行っていたプロジェクトの管理をしつつ、プログラムのチェックをし、クライアントとの連絡をする日々(私が勤めていた会社では孫請けの仕事がメインで、この場合のクライアントは元請けの業者です)。

立場として圧倒的に下なので、何かトラブルが起ころうものならその叱責はハードです。ストレスは溜まりますし、目の前の仕事を片付けないといけないし、連日のように始発から終電まで働いていました。

こんな生活が続くと、確実に身体を壊すと感じ、転職することを決意しました。この時点では希望の転職先などはまだ決めておらず、とにかく今の会社を辞めるということだけを考えていました。

実際の転職活動はどうだったか

さて、私の転職活動についてより詳細に紹介してゆきたいと思います。猛烈に忙しい職場からの転職であれば、参考になることもあるかもしれません。

思い切って一度仕事を辞めてからの転職活動スタート

とにかく忙しい日々を送っていた私は転職に時間を割くということが不可能でした。平日は終電ですし、休日は休めたとしてぐったりして過ごしていましたし、場合によっては休日出勤していたからです。

有給を取得しようにも、それを言い出せるような雰囲気ではなかったです。転職はしたい、けれど時間が無い…。そんな状況にウンザリした自分は思い切って仕事を辞めました。

お金を使うヒマもなく働いていましたから、少しの期間は働かなくても何とかなるだろうという思いもありました。

仕事を辞めてから1週間ほど、何をやる気も出てこず、家でゴロゴロとしていました。昼過ぎに目を覚まし、スマホを見ながらダラダラ。夕方にやっとベッドを這い出してコンビニへ。お弁当とチューハイを買って、深夜までテレビを見たらそれで一日が終了です。かなりの堕落した生活ぶりですが、それだけ疲弊していたのでしょうね。

流石にこれ以上ダラダラしてたらダメだろうと思い腰を上げて、転職活動を開始しました。一体何をすればよいのかよくわかっていなかったため、ハローワークを訪れて求人票をチェックしてみたり、「SE 転職」でググってみたり。けれどピンとする仕事は見つかりません。

そんな折、学生時代の友人と会う機会がありました。彼も先日転職したばかりということで、話を聞きましたところ、エージェントを利用して転職を成功させたとの事。彼が使ったエージェントにその場で電話し、翌日のアポイントを入れました。

なお、私の場合には、結果として比較的すぐに転職先が見つかったので良かったのですが、もしすぐに決まらなかったらと考えますと、未だにちょっとドキドキします。というか、仕事が決まらないという夢を未だに見ているほどです。

とはいえ、仕事を続けながらの転職活動はおそらく無理だったはずです。もう一度同じ状況に立たされれば、同じ選択をするだろうと思います。

エージェントで出会った社内SEという仕事

そもそも転職をするのに、どんな分野が良いのかなど、何も見えていない状況でした。これまでの経験は活かしたいと考えていましたが、いったいどこでそれを活かせるのか…。これまで同様にSEになったとして、猛烈に忙しいであろうことは明確です。

エージェントでそんなことを話していましたら「社内SEはどうですか?」という提案を受けました。SEという言葉に「えっ」とひるみましたが、話を聞く限り通常のSEと社内SEは似て非なる仕事内容とのこと。

確かにこれまでの経験を活かしつつ、まっとうな生活を送れそうです。ということで社内SEに焦点を絞り、転職活動がいよいよ本格的に動き出しました。

転職活動時に気をつけたこと

この時点ですでに仕事を辞めていますから、なるべく早く次の就職先を見つけなくてはなりません。ちょうどそのころ、いくつかの会社から面接のチャンスをもらっていたので、一つ一つをとにかく大切にこなせるよう、準備には時間をかけました。

安定した業界ということでメーカー系の社内SEに照準を絞っていたので、まずは製造業の研究です。モノを作って売るまでにどんな流れがあるのか、入門的な本に目を通しました。

結果として転職活動の役には立たなかったのですが、在庫管理、入出庫の管理、仕掛品の管理など、製品を作る以外の仕事を理解できたことは、むしろ今の時点で役立っています。

製造業への理解をすすめると共に、ITの最新情報を知ろうと「日経情報ストラテジー」といった雑誌についてバックナンバーを含めてチェックしておきました。近所の図書館に取り扱いがあったので、金をかけずに読めたのは幸いでした。何せ収入が無い状態でしたから。

たまたまではありますが、ここで読んでいた記事が面接時の話題に挙がり、すんなり話をすることができたのは我ながら運が良かったなぁと思っています。

実際に働いてみて

メーカー系社内SEとして働き始め、すでに2年が経とうとしています。実際に働いてみてまず思ったのが、とにかく働きやすいということです。

組合もしっかりしているので、無茶な残業もありません。むしろ定時で帰る日々に「たまには残業代を稼ぎたいなぁ…」なんて事を考えてしまいます。そんなことを考えられるのも定時で帰れるからこそですね。

社内SEということで、工場の生産現場使うシステムを開発しているのですが、要件定義の段階からしっかりと参加できるので、やりがいをもって仕事を進められています。

何せ実際にシステムを使うのは同じ会社で働く同僚たちです。場合によっては「使いにくい!」なんて事を直接言われてしまいます(過去3回ほど言われ、その都度平謝りです)。

けれど、そういった様々な声をしっかりと聞くからこそ、より使いやすいシステムが作れるはずです。もちろん逆に「コレ、便利だねぇ」なんていわれることもあります。これはかなりうれしい話です。

通常のSEとして働いていたころは誰がどんな状況で使うシステムなのかもわからずプログラミングしていました。作りながら「こんなの絶対使いにくいだろ!」なんて事を思っても、絶対に口には出しません。そんなことを言っても、作業が遅くなるだけですから。

けれど今の仕事では使う人の顔が見え、実際に使う姿も見え、そして作ったものに対して感謝されるのですから、やりがいに直結します。

学生時代には最先端のIT技術に興味もありましたし、それを使って仕事をするということに憧れもありました。けれど、今では人の顔が見える仕事が一番自分に向いているということを実感しました。

まあ、定時に帰れるということもあり、家でコツコツとスマホアプリを作っています。実際にリリースする予定は無いのですが、最新のIT技術は趣味として楽しむ程度がちょうど良いのかもしれませんね。

ここまで私の転職について長々と書き連ねてきましたが、誰かの・何かの役に立てば幸いです。ご精読ありがとうございました。

30歳目前でアパレルの販売職からメーカーの事務職に転職した体験談

アパレルの販売職といえば、若い女性に人気の仕事のひとつですよね。かく言う私も、大学卒業後にアパレルショップの販売職に就職した1人です。

就職したての頃は好きなショップの服に囲まれて、大好きな接客業に携われるなんてラッキーと思っていたのですが、27歳を過ぎたあたりから漠然とした不安を感じ始めました。

そして、環境を変えるなら20代のうちが良いと思い、30歳を目前にして転職を決意。事務職にターゲットを絞り、どうにか転職を成功させることができました。

転職を決意した詳しい経緯やハローワーク・転職サイト・転職エージェントといった転職サービスを使った感想など、販売職から事務職へ転職を成功させた体験談を紹介します。

30歳目前でアパレル販売員から事務職への転職を決意!

華があるアパレル業界の販売職ですが、実際に働き始めると「30~40代になってもここで働いてる自分がイメージできない」と思う出来事が多々ありました。

1つは年齢にともなう容姿の変化です。20歳そこそこの若い人をターゲットにしたブランドの場合、自分がそのショップの店の服を着ても似合わなくなってくるのです。いわゆる若作り状態で売り場に立つのは、正直苦痛。しかも毎年どんどん若くて可愛い子が入って来るので、なおさら自分の存在価値に疑問を持ってしまいました。

先輩方を見ても、正直ここでキャリアを築くという選択はないなと思いました。運良く店長にステップアップしても、それは肩書だけで旨味はなし。売り場に立つ時間が多少は減ったとしても、そのぶん残業は増え、かといって年収が増えたという噂は聞きません。しかも自分はその店長のポジションにさえなれないという可能性の方が高いのですから、不安しかありません。

体力的にキツくなってきたのも販売職を辞めようと思った理由でした。売り場での立ち仕事に加え、バックヤードでは思い荷物を運んだり持ち上げたりして結構体力を使うのが販売職です。20代後半に入ったころには、私は腰痛持ちになっていました。30代に入ってもこの体力が維持できるとはとても思えなかったです。

こういった理由が重なり、はっきりと転職を決意したのは28歳でした。

パソコンスキルがないのが不安‥資格取得も同時進行で

販売職を辞めたら、30~40代になってもずっと働き続けられる職種に就きたい‥。そして、体力を使う仕事はもう嫌だ。そんな私が狙った職種は事務職でした。

しかし、そこでまた不安の種が。販売職でしか働いたことがないので、パソコンスキルがほとんどないのです。販売職でも在庫リストなどをエクセルで見ることはありましたが、事務職と比べたら微々たるものでしょう。また、いわゆるオフィスマナーを理解していないという点も不安でした。

傍から見ればたいしたことない問題かもしれませんが、当時の私にとってはかなり大きなコンプレックスです。そこで、転職活動と並行して資格勉強もしました。取得した資格は、パソコンの基本スキルがある証明になると評判のMOS(マイクロソフト オフィス スペシャリスト)のwordとExcel、そして秘書検定2級です。

結論から言うと、これらが決め手となって転職に成功したとは言えませんでした。しかし、自分に少しでも自信をつけるという意味では取得して良かったと思います。はじめからスキルがある人なら必要ないかもしれませんね。

ハローワークや転職エージェントを駆使して転職活動開始

在職中に資格勉強をしながらということもあって、私の転職期間は1年以上かかりました。一般的な転職期間は数か月程度なので、平均よりもかなり時間がかかっています。その間には、ハローワークや転職サイト、転職エージェントといった知っている転職サービスはすべて利用しました。

結果から言ってしまうと、新しく会社を立ち上げたというアパレル関連のメーカーに知り合いの紹介で入社してしまうのですが、そこも無条件で入れたわけではありません。ハローワークや転職サイトなどを活用した、山あり谷ありの転職活動が功を奏したと思っています。では、具体的なエピソードを紹介しましょう。

ハローワークで痛い目にあう

転職活動で最初に利用したのは、ハローワークでした。対面式で仕事を紹介してもらえるので、不安をいろいろ解消できると思ったからです。しかし、自分にとっては良い体験になりませんでした。

まずは人が多くて待機時間が長い!20代の若い人から中高年層まで、年代を問わずごった返すように人が押し寄せていて、待機する場所に人が入りきらないほどでした。何時間も自分の順番を待ち続け、いよいよ仕事の相談へ。しかし、担当者には冷たい言葉を投げかけられるばかりでした。

先述の通り私はパソコンスキルなどに自信がなく、それを担当者の前で前面に出してしまったことが原因かもしれません。「これもできないの?じゃあ何ならできるの?」「そんなんじゃ事務職は無理でしょ」という言葉を投げかけられた末に、かろうじて紹介された仕事は販売職以上に給料が安い‥。

正直、これでは暮らしていけないという仕事ばかりなのでハローワークは1回で行くのを辞めました。しかし1度登録してしまったということもあり、その後も定期的に連絡が来ました。気にかけてくださっているのですから悪い場所ではないのでしょう。しかし、自信がないという態度を前面に出してしまった私とは相性が悪かったようです。

求人応募のメインは転職サイト!でも不採用続き

ハローワークを諦めた私は複数の転職サイトに登録。何時間も待機しなくて良いので時間の無駄がない、担当者に嫌なことを言われないという点でとても快適に利用させてもらいました。

しかし、内定をもらえるかというとそれはまた別問題で‥。7社応募したうち、3社は面接までこぎつけましたが、すべて不採用でした。ここで痛感したのが、面接対策の未熟さです。

対話形式の一般的な面接だけで終わった会社は1社しかなく、残りの1社ではいわゆる圧迫面接をされ、もうひとつの会社では訳が分からない適性テストのようなものを受けることになりました。

調べてみると、今は圧迫面接用の対策がたくさんネットに出回っていますね。私は面接官が一切笑わず睨み付けてくるという圧迫面接を受けたのですが、それも定番のようです。適性テストもその業界では珍しくないことだったようで、企業研究が足りないことを反省しました。

転職活動の平均応募者数は6~10社とされているので、決して私はたくさんの会社に応募したわけではありませんが、自分1人で転職活動を続けることに限界を感じ始めていました。

転職エージェントで職務経歴書の書き方のアドバイスをもらう

企業に採用してもらうには自分という商品を上手く売り込まなければいけない、でも自分に自信が持てないからPRができない。そんな悩みを解決するために登録したのが転職エージェントです。

面談日では、またキツイことを言われたら嫌だなとは思いつつ、相次ぐ不採用続きでさらに自信消失していたので正直にスキルのなさを打ち明けました。それを踏まえて職務経歴書を見てくれたのが、転機となりました。

例えば“備品の在庫管理”としか書いていない業務内容でも、管理リストや備品発注書のフォーマットを見やすく手直ししたことがExcelを使った業務をしたというPRになるというように、スキルを掘り下げて見直すきっかけをくれたのです。

自分から「たいしたスキルじゃない」と切り捨てるのではなく、上手くアピールするにはどうすれば良いかという視点をくれました。

また、面接も自信が持てなくなっていたのですが、「話し方自体に問題はありませんよ」というように自信をつけてくれました。

結局、転職エージェントで仕事は紹介してもらえなかったのですが同時期に知り合いから仕事を紹介してもらい、そこで採用されました。

採用の決め手は、エージェントに添削してもらった職務経歴書と面接に対する自信だと思っています。なので、結局エージェント経由で転職しなかったのはすごく申し訳なかったです。

転職を考えてる人は転職シゴツカを読んでみるといいね!

念願のアパレルメーカーの事務職に転職成功

転職先の会社は社員30人にも満たない零細企業でした。そのため事務職と言っても一般事務や営業事務といった区別がなく、オフィスでやる業務はすべて任されました。カタログの校正といった一般的な事務職ではやる機会がないであろう業務にも携わることとなり、かなり異色な業務内容でしたが、アパレル関連のメーカーということで前職と同じ業界に居続けられたのは嬉しかったです。

気にしていたパソコンスキルですが、実際に働き始めたら特に問題なかったです。基礎的なことさえ押さえていれば、あとは社内のルールに従う柔軟性の方が大事だと感じました(逆に自分のルール以外は許せない人は、長続きせずに辞めていきます)。同じく販売職から事務職に転職を考えている人の参考になれば幸いです。